【体験談】就職氷河期でも大企業から内定を取る方法とは!?
生まれた年というのは、思いのほか、人生に影響を与えるものだ!!
我が国の場合は、ほぼ全員が同じ年齢・時期に大学受験に突入し、就職活動を行わなければならない。
たまたまあなたが卒業する時に、世の中の景気が悪いと、内定は取りにくくなるし、景気が良いと内定は取りやすくなる!!
仮に同じ能力の人が、同じ試験を受けても、片方で上位100人が採用され、片方では上位30人しか採用されないのだ。
これは、その年に生まれた運命だ!!
日本にはかつて就職氷河期という時代があり、内定をとるのが無茶苦茶難しい時代が続いていた。
筆者は、そんな就職氷河期に就職活動をした一人であるが、当時の様子がどんな感じだったか、自分の体験談を交えてお伝えしようと思う。
就職氷河期とは
1990年代初頭のバブル崩壊により、景気が急速に悪化したことで、倒産する会社が続出した。
倒産を回避するために、会社は合併したり、リストラしたり、なりふり構わぬコストカットをしなければいけない状況に追い込まれた。
こんな状況なので、新卒採用なんかしてる場合じゃなくね・・・ということで採用を凍結する会社が続出した。
具体的には、1993年卒~2005年卒あたりが該当するが、10年以上の長きにわたり、就職が激ムズという状況が続いていたのである。
この時代に就活した皆さんは、本当にご愁傷様でした。
コロナショックで就職氷河期再来!?
就職氷河期のあとも、不況は何度もやってきた。
いまも、新型コロナウイルス不況が到来しようとしている。
この先どうなんの!?
心配している人もたくさんいると思う。
でも、結論から言うと、就職氷河期のようにはならない。
もちろん就職は厳しくなるが、日本企業は就職氷河期に雇用を凍結したことで、その後、大きなツケを払わされることになったからだ。
よほどアホな会社か、倒産寸前の会社を除き、進んで同じ失敗を繰り返すところはないと考える。
なので、結論としてあのようなバカげた就職氷河期(雇用の面で)は二度と来ないだろう。
前置きが長くなったが、筆者が体験した就職氷河期の環境下における就職活動について体験談を書こうと思う。
15年以上も前の話なので、いまの就職環境とは大きく違う所もあるが、何かの参考になれば幸いである。
就職氷河期の中の就活環境
筆者は就職氷河期末期の2000年代前半に、大卒として就職活動を経験した。
当時の世の中の空気感と、この世代が育った環境を簡単にお伝えしておこう。
この時代に蔓延していた空気
この世代は、物心がついたころにはバブルが崩壊し、幼少期から「景気が悪い」という話をさんざんきかされて育った世代だ。
バブルが崩壊して10年ほど経過しても、まだまだ世の中に残った後遺症は大きく「不景気」という言葉を聞かない日はないくらい、経済に関しては暗いニュースが多かったように記憶している。
安定こそが全て!!
このようなムードが社会全体を覆いつくし、「公務員が安定しているから、公務員になりなさい」「大企業もいつ潰れるかわからないよ」と言われながら育った。
今となって冷静に考えれば、民間企業が全て倒産の対象というのはあり得ない話だが、世の中の事を何も知らない無知な自分は、「民間企業はあぶない」という認識を常に持っていた。
就職氷河期は、とにかく公務員が大人気で、公務員志向の人が多かったように記憶をしている。
安定とは何か!?
自分も公務員を目指そうと考えた時期もあったが、公務員試験に合格する保証もなかったし、民間でも安定している会社に行く方が、いいかなぁと考えて民間で就職活動を行うことにした。
でも、安定している業界ってどんな業界なんだろう・・・
まず銀行は不良債権の問題をずっと抱えており、全くと言ってよい印象は無かった。
筆者のオジサンがメガバンク銀行員として働いていたが、バブル後の不良債権処理に奔走し、過労で倒れたのを見ていたので、銀行だけは絶対にやめようと心に誓っていたのも大きく影響している。
2000年代前後に人気があった業界は、安定志向を反映して、電力会社、ガス会社、鉄道、通信、石油など固い会社が多かったように記憶している。
当時の自分は、それらの業界は安定しているという認識はあったが、仕事の内容に全く興味を持つことができなかった。
というか、ぶっちゃけ何をしている会社なのか、良く分からなかった!!
それらお堅い業界を中心に、就職活動をしている友人がいたが、果たして彼らは、正確にその業界を理解していたのか。
今もそうかもしれないが、当時は「入社してから仕事を理解すればよい」という風潮があったように記憶している。
銀行などまさにその典型で、自分の周りに銀行の業務内容を正確に理解していた人はほとんどいなかったと思う(自分が無知なだけだった可能性はおおいにあるけどね)
業界を決めた
そんな中で、自分が、唯一興味を持てたのは、食品メーカーであった。
興味を持てたというか、単純に生活に身近なので、少なくともアホな大学生の筆者でも、仕事についてなんとなく想像を膨らませることができた。
当時は今の様にネット上に情報もそこまで掲載されていなかったし、大学の生協に就活対策本が置いてあるくらいだったので、今と比べると情報は少なかったように思う。
そんな感じで「知っている」というだけで、なんとなく食品メーカーを中心に就活を始めた。
食品ならどんなに景気が悪くても買わない人はいないだろう・・・という思いも込めて。
就職氷河期ならではの就活スタイル
まずは、スーパーマーケットに行って、良く目立つ位置に置いてある商品や、自分の興味のあった商品のパッケージ裏面を見て、どの会社がこの商品を作っているのか調べるところから始めた。
自動販売機や、普段いかないような業態の店にも出向いて、少しでも多くの商品を知ろうと行動を開始した。
生協に就職四季報が売られていたが、最初からそれを読むのではなく、まずはゼロベースの状態で、自分が興味をもった会社をリストアップしてみた。
そこから興味を持った会社のホームページなどを見たが、中小企業の場合は、余裕がないのか・・・採用をしていない会社が多かった。
なので、必然的に大企業を目指すしかなかった。。。
エントリーシートの書き方、自己分析については、生協に売っていた本を購入したが、なんとなくパラパラ眺めただけで、読むのを止めてしまった。
なんというか・・・本に書いてあるエントリーシートの例文を見た瞬間、こんなん書いて受かるくらいなら、全員内定するだろ。と思ったからだ。
これみんな読んでるよね!?
だったら逆にこれ書いたら落ちるんじゃないの!?
そう思ったのを記憶している。
自己流の就活
ここから完全に自己流の道に走ることになる。
就活を始めるにあたって、分かっていたことは「自分はどこにも内定できない可能性が高い」ことだ。
それは、先輩の就活の状況を見ていて、かなり厳しいことを知っていたからだ。
自分の周りだけかもしれないが、知っている会社から内定をもらった先輩はほとんどおらず、唯一知っていた会社はアコム(消費者金融)だった。
その先輩は、唯一の内定先がアコムで、アコムの良さを筆者にアピールし、正当化しようとしていたが、その後も就職活動を続けていたところを見ると納得していなかったのだろう。
大企業だろうが、中小企業だろうが、何だろうが、とにかく内定取れたらおめでとう!!
それくらい厳しい就職環境だったことは間違いない。
だから、これから始める就活は「落ちて当たり前」だと考えていた。
最初からこういう精神状態でやっていたので、不合格でも凹むとか落ち込むという要素はゼロであった。
なのでどうせ落ちるなら、自分の色・独自性を全面に出すことにした!!
俺を受け入れるのか?
受け入れられないのか?
一か八かの所を狙うことにし、一派間違えば、こいつは社会人としてちゃんとやってけるのか?
そういう疑念を抱かれるような、ギリギリの所を狙ってESを作成していった。
内容は、長年やっているキックボクシングの話や、海外バックパック旅行の話が中心だったが、、、これから分かるように、筆者はチームプレーが苦手なのである。
これは社会人として致命的である!!
おそらくそれは、私と面接した面接官も感じたことだろう。
チームプレーもなにも持ち合わせていない筆者は、協調性ではなく、敢えて、個人の突破力、挑戦!!という所を売りにした。
※今の時代は、チームプレーをより重視するのでこれは結構危険な賭け。
特技の欄には、体力(シンガポールからタイまで歩けるくらい)とか・・・(笑)そういうことを書いていた。
実際に、お堅い会社などには受けが悪くて、秒殺で落とされた会社もたくさんあった・・・
その一方で、受けの良い会社にはとことん受けは良かった。
それから、重要視していたのは、とにかく片っ端から大量にエントリーして受けまくることだ。
この会社に行きたい!というよりは、内定をもらえないと、就職のしようがないと思っていたからだ。
どこでもいいから内定をもらうこと。
その中で、一番自分にとって向いていそうなとこ、興味のあるところに就職しようと考えた。
ごちゃごちゃ考えても、内定がもらえないと、働くことはできないのである。
当時、自分の周りにいた人で、就活が上手くいっていない人は、1社1社をかなり慎重に調べてエントリーしており、不合格➡凹む➡不合格➡凹むのサイクルを繰り返していた。
何故なら、気づいたときはエントリーが閉め切られているので、後々、やっぱり受けとけばよかった!と考えても後の祭りになるからだ。
当然、持ち駒も減っていくし、精神にも余裕がなくなる。
自分は、何も考えずに企業に大量にエントリーしていたが、その分、こなすのが大変だった。
なので、当然、手抜きをするしかなかった。
例えば、エントリーシートなどは、同じ業界であれば、その業界の最難関レベルの所を通過したエントリーシートの内容は正解とみなし、徹底的にコピペして別の会社に使いまわしていた。
もちろん、細部は多少変更するが、1社1社作成していては、大量の企業の選考を進められないからだ。
※実際にこの戦法は有効に機能した。
こんな感じで、ほぼ何も深く考えず、毎日作業に明け暮れていた。
大量に受けているので、当然ながら、1社1社深くは知らない。
こういう時は、いつも、言いたいことはたくさんあるんですが、中でも一番印象に残っていることは〇〇です。と言っていた。
別に、たくさんなど調べていない!!
だけど、「中でもその一つ」のことについては、深く理解してあたかも全部知っているように話すようにしていた。
当然、こんなやり方なので、自分の適当さを見抜かれ、落ちる会社はたくさんあった。
でも、そんなことはイチイチ気にしていられなかった。
なんせ、まだまだ大量の会社の選考を受けなければならないからである。
しかし、人間慣れとは恐ろしいもので、面接20社を超えたあたりから、一気に面接スキルが上がったのを覚えている。
だいたい、どこの会社も同じようなことを聞いてくるようになるのである。
そして落ちるパターンがわかってくる!!
あっ、これ前、別の会社でもきかれたなぁ・・・というのが多くなってきて、こっちにも余裕が生まれてきた。
そんなこんなで、初期の面接では結構不合格になったが、後半は、面接慣れしてきたこともあり、ほぼほぼ通過するようになった。
それでも、スケジュール管理が甘く、同じ日に面接がバッティングしてしまうこともあり、泣く泣く辞退することもあった。
そんなこんなで色々あったが、最終的に内定が取れて、無事に就職することができた。
まとめ
もしかすると、就職氷河期じゃなかったら、自分は上記のようなやり方をしなかったかもしれない。
当時は、本当に就活がヤバいという危機意識を持っていたので、自分は、防衛本能からこのようなやり方をとったにすぎない。
今は、あの時から20年近くの歳月が経過している。
この間に就職戦線は大きく環境変化した。
今には今にあったやり方があるのだろう。
特に、新型コロナウイルスによって、就活市場の激変は必須だ。
そういったあたりの、教科書には乗らないような裏技をこのブログで発信できればと思う。
なお、筆者は、リーマンショックの最中、転職活動を経験している(笑)
好き好んでこの時期に転職活動をしたわけではないが、やらざるを得なくなったので仕方ない。
新卒の時とは、別の意味で厳しい戦いであった!!
この時の体験談は、機会があれば、このブログで発信したいと思う。
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